【特別公開】「雅子さまは気配り上手」天皇陛下のご学友が明かす赤坂での懇親会、国民祭典の“涙の意味”

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週刊女性PRIME

「僕の妃を見つけてほしい」

もちろん私は陛下から、小和田雅子さん内定のご連絡を受けていたが、どこの社が協定を破ったのかを聞くと、記者会に所属しないワシントンポストであった。その瞬間、報道協定は実質的に解除されてしまった。

◆   ◆   ◆
 
時代を数年、前に戻そう。お二人が初めて出会われたのは、昭和61年、当時の皇太子ご夫妻(現・上皇・上皇后両陛下)が来日中のスペインのエレナ王女を歓迎するために開かれたパーティーの席上だった。陛下は「素晴らしい方」と雅子さまの魅力を語られた。  その翌年、陛下と雅子さまは、故高円宮憲仁親王殿下が間に立たれ、数回お会いになったが、スポーツ紙のスクープ報道により、その後は音沙汰がなくなってしまった。宮内庁は父である小和田恆氏に正式な申し出を行ったが、残念ながら良き返事は得られなかった。

 

ちょうどこのころ、陛下は私に対し「僕の妃を見つけて欲しい」と仰せになった。私は「小和田雅子さんの線はないのですね」と思わず陛下に詰め寄った。お答えは「残念ながら……」  その時の陛下のご様子は、どこか遠くを見つめていらっしゃるような気がしたことを、今でも鮮明に思い出す。その後、陛下とともにお妃候補を探す旅に出た。この間の詳細は省くが、ご成婚まで、毎日のように陛下とお目に掛かり、ホットラインも引いて、語り明かした日々を送ったものである。

 

しかし、平成4年、運命とも思われる、鴨場のプロポーズ。思い切った陛下の行動が雅子さまの心を動かした。「外交という分野では、外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはない」と陛下は雅子さんに問いかけられた。  大変不敬な物言いになるが、私は心の中で「よく言った!決めセリフだ」と確信をもった。しかしこのお言葉が、後に雅子さまを追い込んでいくことになるとは、誰も予想はしていなかった。若きお二人が心に描く「皇室外交」と宮内庁の思いは、大きくその方向が異なっていたからである。

 

雅子さま発案の一品

 

 愛子内親王殿下がご誕生された時のご会見を拝見した。記者から感想を聞かれた雅子さまは、声を詰まらせ、ポロリと涙を流された。その後ろから優しく手を背に回された陛下は、とても幸せそうでいらした。

 

雅子さまが仕切られた食事会

 ~~THE  END~~ 

きょうもお越しいただき

ありがとうございましたm(_ _"m)

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 出典、引用元 

https://www.jprime.jp/articles/-/26231

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